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April 01, 2008

4月1日

4月1日といえば、エイプリルフール、いやいや、やっぱり、入社式でしょう。
真面目そうなリクルートスーツを着用した、ぴちぴちの新入女子社員が街に溢れる日なのです。
日が経つにつれ、社内研修やらなにやらで、次第に大人びていってしまうわけですから、鮮度としては、今日こそが最も鑑賞に適した新鮮さであるわけです。
そんな新入女子社員をどうにかしたいという妄想にかられた方も少なくはありますまい。
それっぽい写真を1枚貼って、妄想の支援とさせていただきましょう。
でも、妄想だけにしておいてくださいね。
くれぐれも実際の行動には移さぬようお願いしますよ。
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April 20, 2007

着装文化通信25 トランク

 今やフェチのひとつの分類として当然のように名を連らねております、「着衣緊縛」というジャンルは全く奇妙な存在であります。
「フェチ」と「SM」の中間的な部分に位置する、というのが正しいような気がするのですが、SM?であるような、ないような。責め?的な要素もあるような、ないような。そして、わざわざ断る程に、なぜ「着衣」でなければいけないのか。我ながら疑問に思います。
 私の考える「着衣緊縛」というものは、縄の目の織りなす絶妙な様式美や、又は罪人が逃げられないように(しかも長時間耐えられるように)縛り上げる、という実用向きの技術等がもつ古典的「捕縛術」、拷問、責め、といったようないわゆるSMプレイ、等とは少々趣きが異なるもののようです。「着衣」にこだわるこちらは、もう少し不真面目?とでもいいましょうか。推理小説や時代劇などのヒロインが囚われる様、「縛り美」よりは、「悪者に捕まった可愛そうな美女」に憧れの眼差しを向けているのです。
そう考えると、「縄」というものの共通点だけで、かろうじて同じジャンルにくくられている、というくらい、別物なものなのですね、「着衣緊縛」とは(笑)。私にとって縄は単に彼女の自由を奪い、締め付けるためのものですから、例えば「亀甲」や「菱縄」等のようにそれほど凝った縛り方である必要はそんなには、ありません。むしろ、暴れる彼女を押さえつけるのに精一杯、美しい縄目など作ってる余裕は全くなく、ともかく口をふさいでから、後ろ手、そして両足を固定、そのあとやっと胴体をぐるぐると巻く。やれやれ、と一息。
 重要なのは「捕まってしまった可哀想なヒロイン」という設定でありますから、「生々しく食い込む結び目」だったり、「もがいた拍子にほつれた縄の端」に興味があったりするわけなのです。そしてそんな状況を盛り上げるのに欠かせないのが衣装、着衣ということになってまいります。猿轡でしゃべれない彼女に代わって、その状況を説明するのが衣装のひとつの役割になってくるのですね。
 さて、私がこのような妄想に憑かれ、徐々に人生を踏み外してゆくことになりました原因のひとつは子供の頃に読み、すっかり脳裏に刷り込まれてしまった探偵小説やミステリー小説にあると考られます。必ず悪者に攫われ、縛り上げられる無力な美しいヒロイン達の挿絵などには不思議な感動を覚えたものでした。そして中でも特筆すべきは悪者、悪役、敵役…その犯罪者方の魅力的なことといったらありませんでした…。
 「紳士的な犯罪者」というのは私のボンデージ感に於きましては重要な課題のひとつであります。紳士的犯罪者。そんな不条理なものが存在するとすれば、それはフィクションの世界になるのですが、中でも筆頭は江戸川乱歩様様様。江戸川乱歩といえば「緑衣の鬼」という着衣緊縛マニアのための名作中の名作がございますねぇ。(※偏った意見です)
 この中で何者かに攫われたヒロインがなんとホテルの一室でトランクの中から発見される場面があります。そのヒロインの証言によれば、犯人はトランクに閉じ込めておくものの、それ以上の危害を加えること等は一切なく、とても紳士的であったということです。なんと素晴らしい犯人は、美しい彼女をただトランクに詰め込んでいるだけで満足していたのでありましょうか。(※原作とは粗筋が異なる場合があります)
 今回の「トランクの女」シリーズはやはりこの場面に強烈に影響を受けて作った作品…で御座います。女性を誘拐してきて、閉じ込める…。段ボールでも、冷蔵庫でも、ましてドラム缶でもない、「スーツケース」であるというところに特別な情緒を感じずにはいられません。そこには犯人の余裕、知的さ、上品さ、が感じられます。そのまま山の中に投げ捨てたり、東京湾に沈めてしまったり、というような野蛮な空気は一切なく、たとえばホテルの一番の奥の部屋にひっそりと籠ってしまうような背徳的に陰気な世界感が溢れています。現実感のない、おとぎ話のような現夢の世界が…(笑)。
 そんなこんなで「緑衣の鬼」に憧れて十何年も前に購入した、部屋の片隅に眠ってた大きなスーツケース、やっと日の目を見る事になった次第です。実際に人間を詰め込んでみると、それはもう大の男の力をもってしてもなかなか持ち運べるような代物ではございません!! それでも平然とホテルの部屋へ運び込む…。
 紳士というものは人知れず苦労も多いものなのですねぇ。


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October 20, 2004

着装文化通信10 着せ替え

 今回は最近の私の試みの一つとしてボンデージにおける「着せ替え」を紹介いたします。掲載写真に写っている二人、今まさに一本の縄を脚から外そうと躍起になっている縛り役の女性と、おもちゃにされている自分の肉体を冷めた表情で見つめている縛られ役の女性との対比です。
 無論、私は従来も、女性同士で縛り合うというシチュエーションの作品は出してきました。しかしそこで描写されたのは、完成した縛りの状態のみでありました。ハーモニー社等の作品のように、女性が女性を縛りあげていく過程を撮ったシーンは、実際にそういう技術をお持ちのモデルが少ないという事情もあり、通常の緊縛シーン以上に撮影する機会に恵まれていなかったのです。
 さて、ここで行われている「着せ替え」とは、一口で言えば、緊縛された状態を保ちながら着衣を替えていく、という行為です。しかし、ストッキングやジャケットなど、肢体に纏った着衣は、縄を解かなければ、脱着不可能です。そのため、緊縛の一部分を解いては、また縛り直すという行為をパーツごとに繰り返しながら徐々に衣服を脱がせ、また新たな衣服を着せるという、かなりネチっこい進行になっているのです。緊縛を施された女性、ここでいえば黄色いスーツのモデルなのですが、スカートはロープを緩めることなく一気に脱がされてしまっています。問題はストッキングです。膝上に渡したロープをまず緩め、途中までストッキングをずり下げています。もう一人の女性が外しているのはその膝縄です。この縄を外してから、ガーターストッキングを足首までずり下げます。そしてもう一度膝上を縛り直しから、ストッキングをすっかり脱がすために足首の縄を解き、ハイヒールとストッキングを脚から脱がせます。そして、新しいストッキングを脚先に履かせ、足首を縛り直してから膝上のロープを解き、ストッキングを腰まで上げたところでもう一度膝上の縄を縛り直します。上半身のジャケットについても同様の作業が行われます。その結果、一つの衣装からもう一つの衣装への着せ替えが完了するというわけです。「縄」についていえば、①縛る→②解く→③縛る→④解くという全工程のうち、②解く→③縛るという中二つの工程を、この着せ替えの中でつぶさに鑑賞することができます。そして着衣の脱着の過程が装着した当人ではない他人の手によって行われていきます。ここでは、当然のことながら女性の身体の露出が目的とはならずに、脱がせる→着せるという工程と、その衣装そのものが鑑賞対象となるわけです。しかも、その工程は、通常の状態の身体ではなく緊縛を施されているわけですから、その手間たるや、動作たるや、なかなかに込み入っており、そこも見ごたえになってきます。特に私が興奮いたしますのは、女性が別の女性によってストッキングを穿かされるシーンです。自分の脚にストッキングを穿かせるのは、女性にとっては、さほど珍しい動作ではありません。しかし、別の女性によって、ストッキングを伝線させないようにしながら、柔らかな指先、撫で上げるようなタッチでナイロンをたくし上げられていく動作によって引き出される仄かな快感、肌の温度、自らの思うに動かせず他人の意のままに操られる屈辱感、そういった諸々の触覚や感情は、同じ行為を男性が彼女に施した場合とは繊細さにおいて決定的な違いがあろうかと思われます。
 縛り役の女性は、相手を意のままに操られるという状況に、この時非常に興奮し、時には昂ぶった笑みを漏らしておりました。逆に縛ら役の女性は、強張った視線で、決して言うなりになるまいと、不自由な状態ながらもイヤイヤをし続け、必死になって縛り役の女性を手こずらせてくれました。この二人の関係は、配役上では縛り役が召使で縛られ役が主人役という倒錯した状況である点も含めて、なかなかにユニークな仕上がりとなりました。

S&Mスナイパー2004年12月号掲載



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June 20, 2004

着装文化通信08 妄想

 今回から紙面のレイアウトも刷新されましたので、これまでと多少おもむきをかえて、様々なボンデージ・シーンごとに湧き上がる筆者の妄想を中心に記していきたいと考えています。加えて、制作にあたっての思い入れやら想い出やらについても記していけたらと思います。
 まずは、緊縛された身体をくの字型に身体を折り曲げてベッドに横たわるポーズについて考えてみてください。なんともいえない艶かしさを感ぜずにはいられませんよね。真直ぐに伸ばした脚の背面がすっきりと見えていて、バックシーム・フェチの嗜好も充分に満たすことが可能です。女性の目は瞑っているか、半開き程度のほうが妄想をかきたててくれるでしょう。勿論、両手首両足首にはロープが幾重にも巻かれ、両肘両膝もロープでしっかり括られている厳重さであります。猿轡も忘れてはなりませんね。膝のロープは、両膝を括るのみでも構いませんし、場合によっては余ったロープを首のところから背後に伸ばして縄止めしても可。後者の場合、彼女の身体は前屈した状態で固定され、とても苦しそうな表情を見ることができるでしょう。
 さて、これまで散々にもがきまわったせいでしょうか、今や彼女は総ての体力を使いきり、ぐったり横たわってまさに無防備そのものです。もう、どうにでもしてくださいという無意識のあらわれでもあるのでしょうか。そっと彼女に接近し、すらっと伸びた美しい脚の背面を、ストッキング越しに人差し指ですすっと撫でてみたくなります。そうした直後の彼女の反応を想像するのは実に楽しいものであります。彼女自身の理性とはうらはらに、猿轡の中から秘悦の歓喜を漏らしてしまうのか、はたまた、理性が打ち勝って、再び激しいもがきとうめきの抵抗が始まるのか、まさに手に汗握る妄想です。
 そっと近づいて、すすっと指を這わせるところから妄想してみましょう。指は彼女の膝の内側あたりから、すすっと太腿の方に向かって走ります。彼女の身体にぴくんと衝撃が走り、瞑っていた目がパッチリと開きます。ぐったりしていた頭を起こし、筆者を睨みながら、身体を激しく揺り動かして、伸ばした脚を折り曲げようとします。
 そうはさせじと筆者は片手で彼女の足首をおさえつけます。彼女の意外と力のこもった抵抗にこちらもついつい力が入ります。彼女は、脚が駄目なら、胴体のほうを伸ばして、無防備なくの字型からの脱却をはかるでしょう。筆者は先程おさえこんだ足首を捻るようにして少し持ち上げます。これによって仰向けになるように力が作用して、彼女の身体は今のポーズのまま固定されることになるのです。思うように動けない状況にあることを彼女は瞬時に悟り、怒りの声をあげるでしょう。
 「うむむむむむ!」
 全てはこの声を聞きたいがための準備行為に過ぎません。くぐもったうめき声は耳から直接脳髄を刺激し、加虐の炎を煽り立てます。脚フェチの気もある筆者は、そのままストッキングに包まれた脚を鷲掴みにします。痛さ、くすぐったさ、恥ずかしさ、悔しさ、それらが交錯する中で、模糊朦朧として薄れ行く意識とともに、彼女の理性は完全に無力化していきます。
 まさに極楽といったところでしょうか。実際の撮影中におきましても、このような妄想が自然発生し、そのまま脳髄から離れていってくれないことがしばしばです。かといって、作業の妨げになるからこのような縛り方やポーズは忌避するといった無粋なことはいたしません。撮影は筆者の密かな悦びをうちに秘めて粛々と進行してまいります。モデルさんもそれを知ってか知らずてか、筆者の密かな妄想を見て見ぬふりを、というよりむしろ、妄想に拍車をかけるような大胆な媚態を、時としてサービスしていただくことも少なくはありません。やっぱり、撮影は楽しくやれなくちゃいけませんよね。楽しく妄想に浸ることが出来るよう、今日も縛りに気合が入ります。

S&Mスナイパー2004年8月号掲載



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April 20, 2004

着装文化通信06 フォトストーリー

 ストーリーについて語ったついでに、フォトストーリーについての思いについてお話させていただきます。フォトストーリーは、一連の組写真でもって、ひとつの物語を構成するものであります。
 筆者が中学生だった頃であります。まったくの偶然でありましたが、筆者は初めてSM誌というものを書店の店頭で手にとってしまい、見入ってしまったのです。そこには、裸体やら下着姿やらの女性が、これまで見たこともないような縛り方でもって様々なポーズで緊縛された写真が満載されておりました。そのSM誌は、思春期の青少年の羞恥心のゆえ、その場で購入することは出来ませんでした。(数年後古書店で入手しましたが)
 しかしながら、その暫く後で、別のSM誌を購入する機会にめぐまれました。そこに相当多くの紙面を割いて掲載されていたのが、海外のボンデージ写真だったのです。ボールギャグやホグタイで拘束された異国の美女達の姿にすっかり魅せられてしまった筆者は、何度も何度もそのコーナーを鑑賞し続けました。そしてあることを発見したのです。
 頁内に無造作に配置されている複数の写真は、いくつかのグループに分類することが出来るらしいのです。つまり、そのコーナーは、複数の連続写真作品を適当にバラして構成されていたのでした。それを理解した筆者は、今度はその組写真の原型の復元に取りかかります。どれとどれが同一作品であるか、その順番はどうなっているのか、本来あったものが削除されてはいないか、そんなことを考えながら、複数頁に渡るそのコーナーに目を行き来させました。そしてそれらの組写真にはなんらかのストーリーがあるということも確信しました。「その原典を見たい。」それが思春期における筆者の密かなる願望となりました。
 それがかなうのは、比較的早い時期に訪れました。ハーモニー社の『Bondage Life』創刊号との出会いがそれであります。そこにおいては、すべてがストーリーでありました。満載された魅力的な写真群。簡単な英文による展開の記述。まさに、夢のようなボンデージ・ストーリーでありました。筆者が辞書を片手にすべての英文を翻訳したのは言うまでもありません。
 そしてその時、自らもこのような作品を撮りたいという欲望に駆られました。実際、緊縛写真を撮り始めたのもこの頃でありました。以前よりポートレイト撮影を地道に勉強してきておりましたが、その経験も加味されたかたちで、筆者の写真の作風はこの時点で決定づけられたと申しても過言ではありません。
 元来、隷嬢寫眞館は、その名のとおり、写真作品を中心としたものでありました。昨今では、ビデオやDVDが主流となってきておりますが、若かりし頃の写真への思いも大切にして、フォト作品もふやしていきたいと思う次第です。

S&Mスナイパー2004年6月号掲載

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FANTIA and PATREON


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