February 22, 2009
(今年も)隷嬢寫眞館開設記念イベントについて
昨年、隷嬢寫眞館開設記念イベントと銘打った「緊縛撮影会」なるものを、ささやかながら実施させていただいたのですが、今年もまた実施してみようかと考え始めた次第です。(当時の記事によると、「次回は4月」などと書かれておりましたが、結構な時間が経過してしまいました。長らくお待たせしてしまいまして本当にごめんなさい。)
前回の撮影会は午後の部のみ短時間でさらりと進めてしまいましたが、今回は一応午前の部と午後の部とに分けて実施してみようかと思っております。
予定日は、平成21年3月20日(金・祝日)あたりが有力です。
場所は、隷嬢寫眞館さいたまスタジオになる予定です。仮ですが、午前が洋室、午後が和室、といった感じになりそうです。
モデルは2名を検討中です。交代緊縛もよし、連縛もよし。典型的な緊縛劇シチュエーションをお手持ちのカメラでお撮りください。
参加費用は前回午後のみで1万円(静止画のみ)だったことを受け、モデルが倍になることを考慮して、午前2万円・午後2万円・午前午後通しで3万円(いずれも静止画のみ)という予算でお願いすることになると思います。
さらに煮詰めて詳細を次回の新作発表時の着装文化に載せようと思いますが、お問合せや参加予約等はメールで逐次受付けますので、よろしくお願い申し上げます。
前回の撮影会は午後の部のみ短時間でさらりと進めてしまいましたが、今回は一応午前の部と午後の部とに分けて実施してみようかと思っております。
予定日は、平成21年3月20日(金・祝日)あたりが有力です。
場所は、隷嬢寫眞館さいたまスタジオになる予定です。仮ですが、午前が洋室、午後が和室、といった感じになりそうです。
モデルは2名を検討中です。交代緊縛もよし、連縛もよし。典型的な緊縛劇シチュエーションをお手持ちのカメラでお撮りください。
参加費用は前回午後のみで1万円(静止画のみ)だったことを受け、モデルが倍になることを考慮して、午前2万円・午後2万円・午前午後通しで3万円(いずれも静止画のみ)という予算でお願いすることになると思います。
さらに煮詰めて詳細を次回の新作発表時の着装文化に載せようと思いますが、お問合せや参加予約等はメールで逐次受付けますので、よろしくお願い申し上げます。
February 20, 2009
ポンプギャグ
先日、スナイパーSNSでの自分の日記へのレスに対するレスとして、ポンプギャグに関して簡単に述べたのですが、少しだけ詳しく書いてみたいと思います。
ポンプギャグとはゴム製の口唇を覆うカバー部と、口腔内に挿入するバルーン部、そのバルーンに空気を送り込んで膨張させるためのエアポンプ部の、3つのパーツから成るギャグの一種です。(「ギャグ」を邦訳すると「猿轡」となりますが、「猿轡」ですと布とか粘着テープとかも含む広範な概念となるため、ニュアンス上使用しがたいものがございます。隷嬢寫眞館では、このようなものは「ギャグ」とか「緘口具」とか、あるいは無理矢理「特殊猿轡」という語で表現しています。)
入手しやすいものは、エアポンプ部が手動のものですが、もしかして自動のものがあるとしたら、さぞや凄まじい映像を撮ることが出来ることでしょう。
装着は概ね以下の手順となります。(1)空気の抜けた状態でのバルーン部を口腔内に挿入します。(2)カバー部を口唇に押し当て顔面にフィットするようにして、装着ベルトを後頭部にまわして固定します。(3)エアポンプ部を操作して空気をバルーン部に送り込み、口腔内で膨張させます。
これの効果は、口腔内で膨張していくバルーンが、舌・歯・顎・咽喉を圧迫し、内側から強烈な責苦を与えることが出来るとともに、バルーンが口腔内にすっぽりと嵌った状態になるわけですから、発声の自由を完璧に奪うことが出来るという、大きく2点が挙げられるでしょう。
技術が追いつかないため、口腔内部の映像を撮ることは出来ないでおりますが、それでもこれを装着されたモデル様の苦悩の表情は、演技では出来ない万金に価する素晴らしいものであります。映像を作る側からしますと、装着すること自体が責苦であり、かつ時間を要するものでありますから、工夫次第では、ポンプギャグだけでも萌え作品を撮ることが出来そうな気もします。
但し、無理な使用は禁物です。口腔の形状は人によって様々であり、モデルさんによっては、バルーンが変なところ(例えば咽喉の奥)に膨張し、窒息事故につながらないとも限りません。撮影でもプレイでも、必ず事前に装着のリハーサルを行なって、安全を確保するよう充分に注意していただきたいものと考えます。
ポンプギャグとはゴム製の口唇を覆うカバー部と、口腔内に挿入するバルーン部、そのバルーンに空気を送り込んで膨張させるためのエアポンプ部の、3つのパーツから成るギャグの一種です。(「ギャグ」を邦訳すると「猿轡」となりますが、「猿轡」ですと布とか粘着テープとかも含む広範な概念となるため、ニュアンス上使用しがたいものがございます。隷嬢寫眞館では、このようなものは「ギャグ」とか「緘口具」とか、あるいは無理矢理「特殊猿轡」という語で表現しています。)
入手しやすいものは、エアポンプ部が手動のものですが、もしかして自動のものがあるとしたら、さぞや凄まじい映像を撮ることが出来ることでしょう。
装着は概ね以下の手順となります。(1)空気の抜けた状態でのバルーン部を口腔内に挿入します。(2)カバー部を口唇に押し当て顔面にフィットするようにして、装着ベルトを後頭部にまわして固定します。(3)エアポンプ部を操作して空気をバルーン部に送り込み、口腔内で膨張させます。
これの効果は、口腔内で膨張していくバルーンが、舌・歯・顎・咽喉を圧迫し、内側から強烈な責苦を与えることが出来るとともに、バルーンが口腔内にすっぽりと嵌った状態になるわけですから、発声の自由を完璧に奪うことが出来るという、大きく2点が挙げられるでしょう。
技術が追いつかないため、口腔内部の映像を撮ることは出来ないでおりますが、それでもこれを装着されたモデル様の苦悩の表情は、演技では出来ない万金に価する素晴らしいものであります。映像を作る側からしますと、装着すること自体が責苦であり、かつ時間を要するものでありますから、工夫次第では、ポンプギャグだけでも萌え作品を撮ることが出来そうな気もします。
但し、無理な使用は禁物です。口腔の形状は人によって様々であり、モデルさんによっては、バルーンが変なところ(例えば咽喉の奥)に膨張し、窒息事故につながらないとも限りません。撮影でもプレイでも、必ず事前に装着のリハーサルを行なって、安全を確保するよう充分に注意していただきたいものと考えます。
February 19, 2009
ボンデージと「Damsel in Distress」
ボンデージを語る際に避けて通れないのが、「Damsel in Distress」というテーマでありましょう。直訳しますと「苦悩する乙女」「囚われの姫君」となるのでしょうか。略称の「DID」が用いられることも多く、ボンデージに関する書物には必ずどこかに登場する重要語でもあります。
ウィキペディアによりますと、「多くの映画やテレビドラマなどでこうした場面が登場するが、ジョン・ウィリーやアービング・クロウらが出版した多くのボンデージマガジン、ボンデージコミックはこうした嗜好をよりフェティッシュなものへと昇華させた。1950年代に彼らの出版した雑誌『Bizarre』などには衣服を着たままで拘束される美女(出版規制もありNo Nude No Sexであった)が多く載せられ、Damsel in distressのみを切り出していた。」→とあり、ボンデージの主要テーマであることが理解できます。確かに、米国ハーモニー社「Bondage Life」誌にも創刊号からDIDのコーナーが設けられていたと思います。
ところで、この「Damsel in Distress」は、ボンデージがSMと一線を画する重要なキーワードでもあると考えます。SMのテーマの主体が「主従」「隷属」であって「緊縛」や「拘束」が客体として位置づけられているという考え方に基づくならば、ボンデージはこれとは逆であるという概念を簡単に表現する用語としても「Damsel in Distress」は使われます。気高い姫君はそうやすやすとは悪の思いどおりにはなりません。「従」の立場になることを潔しとはしないのです。囚われても最後まで抵抗します。ボンデージにおいては「主従」関係は成り立たないということを象徴する言葉なのです。(SMにおいては「緊縛美」というテーマも存在する点、上記の前提に一見矛盾するようでありますが、一般的な「緊縛美」の語の用例が、緊縛を施された女性の姿態や表情を含めて、前述した主要素を如何に表現出来ているかを重視されることが少なくない点、やはり主体は「主従」にあると考えます。一方で、被縛者を意識せず、美しい縄がけを追究するものも「緊縛美」とされますが、後者の場合はSMというよりは、ジャパニーズ・ボンデージとして分類するのがよろしいかと考えます。飽くまでも、一説としてですが。)
近年では、TVや映画におけるかようなシーンの切り出し集(もしくはその行為)そのものを「Damsel in Distress」と称することが多いのですが、「Damsel in Distress」が実は「ボンデージ」の奥深い要素のひとつであることを忘れてはならないと思います。更には、今日ファッション化した「ボンデージ」と本来の「ボンデージ」とを峻別するためにも「Damsel in Distress」を積極的に表現していきたいものと思う次第です。
ウィキペディアによりますと、「多くの映画やテレビドラマなどでこうした場面が登場するが、ジョン・ウィリーやアービング・クロウらが出版した多くのボンデージマガジン、ボンデージコミックはこうした嗜好をよりフェティッシュなものへと昇華させた。1950年代に彼らの出版した雑誌『Bizarre』などには衣服を着たままで拘束される美女(出版規制もありNo Nude No Sexであった)が多く載せられ、Damsel in distressのみを切り出していた。」→とあり、ボンデージの主要テーマであることが理解できます。確かに、米国ハーモニー社「Bondage Life」誌にも創刊号からDIDのコーナーが設けられていたと思います。
ところで、この「Damsel in Distress」は、ボンデージがSMと一線を画する重要なキーワードでもあると考えます。SMのテーマの主体が「主従」「隷属」であって「緊縛」や「拘束」が客体として位置づけられているという考え方に基づくならば、ボンデージはこれとは逆であるという概念を簡単に表現する用語としても「Damsel in Distress」は使われます。気高い姫君はそうやすやすとは悪の思いどおりにはなりません。「従」の立場になることを潔しとはしないのです。囚われても最後まで抵抗します。ボンデージにおいては「主従」関係は成り立たないということを象徴する言葉なのです。(SMにおいては「緊縛美」というテーマも存在する点、上記の前提に一見矛盾するようでありますが、一般的な「緊縛美」の語の用例が、緊縛を施された女性の姿態や表情を含めて、前述した主要素を如何に表現出来ているかを重視されることが少なくない点、やはり主体は「主従」にあると考えます。一方で、被縛者を意識せず、美しい縄がけを追究するものも「緊縛美」とされますが、後者の場合はSMというよりは、ジャパニーズ・ボンデージとして分類するのがよろしいかと考えます。飽くまでも、一説としてですが。)
近年では、TVや映画におけるかようなシーンの切り出し集(もしくはその行為)そのものを「Damsel in Distress」と称することが多いのですが、「Damsel in Distress」が実は「ボンデージ」の奥深い要素のひとつであることを忘れてはならないと思います。更には、今日ファッション化した「ボンデージ」と本来の「ボンデージ」とを峻別するためにも「Damsel in Distress」を積極的に表現していきたいものと思う次第です。
February 18, 2009
ボンデージと着衣緊縛
「ボンデージ」の訳語として「着衣緊縛」という語が用いられているのをよく目にします。隷嬢寫眞館におきましても、初めてモデル応募されてきた未経験女性に対して内容を説明する際、多用してしまう語です。しかしながら、「ボンデージ」の原義を米国Bondage古書に求めるならば、両者の概念にはズレがあることに気付くでしょう。勿論、共通する部分も多いので、便宜的な訳語として用いられやすいのでしょう。
「着衣緊縛」は「ボンデージ」という大きな括りの中の「着エロ」的な範囲をカバーするに過ぎないと考えております。ウィキペディアを見てみますと、「「着」は「着衣」の略で、「着メロ」のもじり。局部「以外」の部分を限界まで露出した、過激なセミヌードを指す。初期の頃は、極小の水着やテープ等の小道具で覆い隠す他、ブラジャーを外して手だけで乳首を隠す「手ブラ」といった手法が多く見られ、従来のセミヌードよりは過激という程度だったが、その後、緊縛姿や口にギャグボールを噛ませたボンデージスタイルを取り入れたり、あからさまに性行為を連想させるシーンがあったり、街中を半裸で歩くなど、過激化していく。」→とあり、さらに「緊縛を鑑賞する場合、被縛者の着衣の有無でもパターンが異なる。本来緊縛というシチュエーションでは必ずしも裸体でなくてもかまわないが、着衣の場合は想像力をかきたてられるようなファッションが好まれる。特に日本では被縛者が女性の場合セーラー服姿が非常に好まれるが、看護婦やスチュワーデスの制服、果てはウェディングドレスでの緊縛もおこなわれる。着衣でない場合でも下着姿で緊縛されていたり 、下半身のみ裸で緊縛されていたりする。全裸でもその縛り方によってポーズや形態は種々異なる。」→ともあって、「着衣緊縛」が極めて特化した概念であることが何となくわかります。
ともかく、そのようなわけで、最近の隷嬢寫眞館におきましては、出来るだけ「ボンデージ」という語を多用するように努め、「着衣緊縛」の語は必要最小限に抑える傾向が強まっています。
「コナン・ザ・グレート」という洋画がございます。原作は、ロバート・E・ハワードが書いた「コナン・シリーズ」でありまして、「ヒロイック・ファンタジー」の元祖とされる作品です。よって、原作に準じて映画作品も、きちんと「ヒロイック・ファンタジー」もしくは「ソード・アンド・ソーサリ(剣と魔法)」というジャンルに分類されなければならないと考えておりました。ところが「コナン・ザ・グレート」が初めてTV放映された日の新聞の解説文には「ヒロイック・ファンタジーとは西洋チャンバラである云々」と記されており、がっかりした記憶がございます。一種の概念のズレというやつですね。特に入れ込んでいるわけではない人達から見れば、同じようなものに思えても、愛好者から見れば両者は別物なのです。(両者の違いを大雑把にいうと、「ヒロイック・ファンタジー」には「剣と魔法」の二つの要素が登場せねばならないのに対し、「西洋チャンバラ」は「剣」のみを要素とするということです。詳しくは、ハヤカワSF文庫のコナン・シリーズの解説をお読みください。ちなみに本来の「西洋チャンバラ」というジャンルには「怪傑ゾロ」や「三銃士」等が含まれるそうですが、これについては個人的には納得できます。)
白馬非馬論のような話に発展しそうなので、この辺でやめておきたいと思いますが。
「着衣緊縛」は「ボンデージ」という大きな括りの中の「着エロ」的な範囲をカバーするに過ぎないと考えております。ウィキペディアを見てみますと、「「着」は「着衣」の略で、「着メロ」のもじり。局部「以外」の部分を限界まで露出した、過激なセミヌードを指す。初期の頃は、極小の水着やテープ等の小道具で覆い隠す他、ブラジャーを外して手だけで乳首を隠す「手ブラ」といった手法が多く見られ、従来のセミヌードよりは過激という程度だったが、その後、緊縛姿や口にギャグボールを噛ませたボンデージスタイルを取り入れたり、あからさまに性行為を連想させるシーンがあったり、街中を半裸で歩くなど、過激化していく。」→とあり、さらに「緊縛を鑑賞する場合、被縛者の着衣の有無でもパターンが異なる。本来緊縛というシチュエーションでは必ずしも裸体でなくてもかまわないが、着衣の場合は想像力をかきたてられるようなファッションが好まれる。特に日本では被縛者が女性の場合セーラー服姿が非常に好まれるが、看護婦やスチュワーデスの制服、果てはウェディングドレスでの緊縛もおこなわれる。着衣でない場合でも下着姿で緊縛されていたり 、下半身のみ裸で緊縛されていたりする。全裸でもその縛り方によってポーズや形態は種々異なる。」→ともあって、「着衣緊縛」が極めて特化した概念であることが何となくわかります。
ともかく、そのようなわけで、最近の隷嬢寫眞館におきましては、出来るだけ「ボンデージ」という語を多用するように努め、「着衣緊縛」の語は必要最小限に抑える傾向が強まっています。
「コナン・ザ・グレート」という洋画がございます。原作は、ロバート・E・ハワードが書いた「コナン・シリーズ」でありまして、「ヒロイック・ファンタジー」の元祖とされる作品です。よって、原作に準じて映画作品も、きちんと「ヒロイック・ファンタジー」もしくは「ソード・アンド・ソーサリ(剣と魔法)」というジャンルに分類されなければならないと考えておりました。ところが「コナン・ザ・グレート」が初めてTV放映された日の新聞の解説文には「ヒロイック・ファンタジーとは西洋チャンバラである云々」と記されており、がっかりした記憶がございます。一種の概念のズレというやつですね。特に入れ込んでいるわけではない人達から見れば、同じようなものに思えても、愛好者から見れば両者は別物なのです。(両者の違いを大雑把にいうと、「ヒロイック・ファンタジー」には「剣と魔法」の二つの要素が登場せねばならないのに対し、「西洋チャンバラ」は「剣」のみを要素とするということです。詳しくは、ハヤカワSF文庫のコナン・シリーズの解説をお読みください。ちなみに本来の「西洋チャンバラ」というジャンルには「怪傑ゾロ」や「三銃士」等が含まれるそうですが、これについては個人的には納得できます。)
白馬非馬論のような話に発展しそうなので、この辺でやめておきたいと思いますが。
February 17, 2009
ボンデージとボンテージ
英単語「bondage」は、自分にとっては青春時代の理想であり目標であり指標であり、さらには、神秘的かつ神聖なる観念そのものだったという点につきましては、既にあちこちでお話ししているわけでありますが、そもそもこの単語、どのように発音するのでしょうか。
手っ取り早く「excite.辞書」で調べてみたところ、正しくはこんな発音なのだそうです。これをカタカナで無理矢理に表記すると、「バンディジ」もしくは「ボンディッジ」となりますね。これを、より日本語の外来語っぽく表記させたものが「ボンデージ」であるということが出来そうです。
ところで、最近巷では「ボンデージ」と「ボンテージ」についての比較に関する議論をよく見かけるようになりました。ウィキペディアにおきましても、「ボンデージ」の章の中に、「ボンテージ」という項を立てて言及しております。そこには「原語のBondageを承知していれば起こり得ないカタカナ表記である」と記されておるわけです。ただ、一体どうして「デ」が「テ」に変化してしまうのかという問題については、ネット上にも諸説が挙げられてはおりますが、どれも決定的なものではなく、通説が定まるには至っていないようです。従いまして、残念ながら、明確なことはわかりません。
ところで、金田一春彦著『日本語』(新版・上・岩波新書)に、以下の記述がございます。
「学校で学生といっしょにエレベーターに乗ると、われわれ(注・著者世代をさす)だと「サンガイ(三階)」と連濁するのをサンカイと、連濁しないで言うのが多いことに気付く。フランスでも、一般にリエゾンはどんどん減ってゆくという。それが自然の傾向であろうか。」
この記述の内容が直接今回のテーマに当てはまるものでも無いわけですが、「ボンテージ」が蔓延している現実を見たとき、呆然とこの文章を思い出してしまう次第です。「それが自然の傾向であろうか。」と。
手っ取り早く「excite.辞書」で調べてみたところ、正しくはこんな発音なのだそうです。これをカタカナで無理矢理に表記すると、「バンディジ」もしくは「ボンディッジ」となりますね。これを、より日本語の外来語っぽく表記させたものが「ボンデージ」であるということが出来そうです。
ところで、最近巷では「ボンデージ」と「ボンテージ」についての比較に関する議論をよく見かけるようになりました。ウィキペディアにおきましても、「ボンデージ」の章の中に、「ボンテージ」という項を立てて言及しております。そこには「原語のBondageを承知していれば起こり得ないカタカナ表記である」と記されておるわけです。ただ、一体どうして「デ」が「テ」に変化してしまうのかという問題については、ネット上にも諸説が挙げられてはおりますが、どれも決定的なものではなく、通説が定まるには至っていないようです。従いまして、残念ながら、明確なことはわかりません。
ところで、金田一春彦著『日本語』(新版・上・岩波新書)に、以下の記述がございます。
「学校で学生といっしょにエレベーターに乗ると、われわれ(注・著者世代をさす)だと「サンガイ(三階)」と連濁するのをサンカイと、連濁しないで言うのが多いことに気付く。フランスでも、一般にリエゾンはどんどん減ってゆくという。それが自然の傾向であろうか。」
この記述の内容が直接今回のテーマに当てはまるものでも無いわけですが、「ボンテージ」が蔓延している現実を見たとき、呆然とこの文章を思い出してしまう次第です。「それが自然の傾向であろうか。」と。