April 20, 2004

着装文化通信06 フォトストーリー

 ストーリーについて語ったついでに、フォトストーリーについての思いについてお話させていただきます。フォトストーリーは、一連の組写真でもって、ひとつの物語を構成するものであります。
 筆者が中学生だった頃であります。まったくの偶然でありましたが、筆者は初めてSM誌というものを書店の店頭で手にとってしまい、見入ってしまったのです。そこには、裸体やら下着姿やらの女性が、これまで見たこともないような縛り方でもって様々なポーズで緊縛された写真が満載されておりました。そのSM誌は、思春期の青少年の羞恥心のゆえ、その場で購入することは出来ませんでした。(数年後古書店で入手しましたが)
 しかしながら、その暫く後で、別のSM誌を購入する機会にめぐまれました。そこに相当多くの紙面を割いて掲載されていたのが、海外のボンデージ写真だったのです。ボールギャグやホグタイで拘束された異国の美女達の姿にすっかり魅せられてしまった筆者は、何度も何度もそのコーナーを鑑賞し続けました。そしてあることを発見したのです。
 頁内に無造作に配置されている複数の写真は、いくつかのグループに分類することが出来るらしいのです。つまり、そのコーナーは、複数の連続写真作品を適当にバラして構成されていたのでした。それを理解した筆者は、今度はその組写真の原型の復元に取りかかります。どれとどれが同一作品であるか、その順番はどうなっているのか、本来あったものが削除されてはいないか、そんなことを考えながら、複数頁に渡るそのコーナーに目を行き来させました。そしてそれらの組写真にはなんらかのストーリーがあるということも確信しました。「その原典を見たい。」それが思春期における筆者の密かなる願望となりました。
 それがかなうのは、比較的早い時期に訪れました。ハーモニー社の『Bondage Life』創刊号との出会いがそれであります。そこにおいては、すべてがストーリーでありました。満載された魅力的な写真群。簡単な英文による展開の記述。まさに、夢のようなボンデージ・ストーリーでありました。筆者が辞書を片手にすべての英文を翻訳したのは言うまでもありません。
 そしてその時、自らもこのような作品を撮りたいという欲望に駆られました。実際、緊縛写真を撮り始めたのもこの頃でありました。以前よりポートレイト撮影を地道に勉強してきておりましたが、その経験も加味されたかたちで、筆者の写真の作風はこの時点で決定づけられたと申しても過言ではありません。
 元来、隷嬢寫眞館は、その名のとおり、写真作品を中心としたものでありました。昨今では、ビデオやDVDが主流となってきておりますが、若かりし頃の写真への思いも大切にして、フォト作品もふやしていきたいと思う次第です。

S&Mスナイパー2004年6月号掲載

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March 20, 2004

着装文化通信05 ストーリー

 シチュエーションをベースとして作品全体に深みを持たせるようにしたものをストーリーと称します。静的な概念であるシチュエーションに対して、ストーリーとは時間の流れに則った内容の変化を持たせるという動的なものであります。起承転結という伝統的な言葉で表現してもよいでしょう。
 その具体的な表現方法は、明示的なものから暗示的なものまで様々です。詳細な台本のもと重厚な演技でもって作品を構成するものは前者でありましょうし、タイトルのみを示して、あとは視聴者の想像にお任せというのは後者に当たるでしょう。
 要するに、限られた時間と空間の中でストーリーを表現するためには、多様な手法があるということなのです。衣装や部屋の調度がシチュエーションを表現するものであるならば、台詞、演技、テロップ、タイトル、等は、ストーリーを表現するための手法と考えてよいでしょう。これらを自由奔放に駆使することによって作品を組み立てていくことは、制作者としての楽しみのひとつとも言えましょう。
 但し、いくら自由とはいっても、シチュエーションから極端に逸脱したストーリーは考えものです。和室の中で和装のモデルを撮っておきながら、タイトルが例えばボードレールから借用して『パリの憂鬱』と題し、他は一切の説明もないのであれば、無理な解釈の余地は残されるとしても、大多数の視聴者はきっと混乱するでありましょう。当たり前のようなことですが、シチュエーションとストーリーとは、分かりやすく同期をとったものでないといけません。
また、余りに凝り過ぎて、肝心のボンデージ・シーンが殆んどないというストーリーもよろしくないと思います。視聴者の真の目的はボンデージ・シーンを鑑賞することでありまして、高尚な作品を味わいたいわけではないからです。したがいまして、ここで言うストーリーは、ボンデージ・シーンが大半を占めるものでなくてはなりません。
 極端な例でありますが、ストーリーの必然から、起承転結のうち、転のみにしかボンデージ・シーンが登場しないような場合、起・承と結の部分は文章説明を数秒で流し、転部分のボンデージ・シーンをたっぷりと表現するやり方も、筆者は有りと考えます。
 そのような立場から、筆者が作るストーリーは、荒唐無稽なものが自然と多くなってまいります。少なからず強引にボンデージ・シーンを導くことが容易であるためです。起承転結全ての場面においてボンデージ・シーンが登場するストーリーを作っていくことが、筆者のささやかな願いなのであります。

S&Mスナイパー2004年5月号掲載

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February 20, 2004

着装文化通信04 シチュエーション

 ボンデージとは、いうなれば「拘束」することに他なりません。「拘束」とはすなわち自由を奪うことであります。自由を奪われて、その先どうなるということは、本質的にはどうでもよろしい話でありまして、要は拘束(多くは緊縛)されて自由を奪われた人間の状況をあるがままに表現することが、ボンデージの最大の目的といえると思うのです。
 それでは、それを表現するにはどのようにしたらよいのでしょうか。最も簡単な方法は、自由を奪われ、思うように動作しなくなった身体を、それでも可能な限り動作させ、自由を取り戻すべく最大限の力を振り絞る行為を、ありのままに描写するというものです。この「踠き」と「呻き」の組み合わせを、より自然なかたちで表現することが、ボンデージ表現の最大の課題であると考えます。
 その課題の解決策として、シチュエーションというものがあげられます。すなわち、被縛者が、緊縛されるに至った状況、あるいは、現在緊縛されている環境を、何らかのかたちで表現しておくことによって、緊縛に対しての「踠き」と「呻き」の行為の正当性が保証され、見る者に安心感を与えることが可能となってくるのです。
 そのためには、どのようなかたちでの表現が望ましいのでしょうか。私は、大きく二つのやり方があると考えています。第一は、縛るに至る過程も含めたストーリー展開の表現です。これについては、紙面の関係で、別の機会に改めて述べさせていただきたいと思います。第二は、被縛者をシチュエーションに溶け込ませることです。どのような状況下で自分が緊縛されているのかを知らずしては、決してよい「踠き」と「呻き」は生まれません。戸惑いと惰性だけの緩慢な動作に終始するだけの作品となってしまうことでしょう。
 私は、初めてのモデルさんを撮影する時には、必ずといっていい程に、その状況説明を行ないます。「貴女は誘拐されて監禁されています。貴女を誘拐した悪い人は隣の部屋で寝ています。貴女は隣の部屋の悪人に悟られないように、何とか縄を解き、脱出しようとします。なるべく音を立てないように。しかしなんということでしょう、食い込む縄目は貴女を苦しめ、貴女は思わず呻き声を発してしまうのです。しまったという表情、しかし、悪人は気がつかない、一安心して、また脱出すべく踠き出す。云々」とか。これはあくまでも一例ですが、このようなシチュエーションを理解して、その世界に没入して演技していただくモデルさんの作品は、リアリズムにあふれ、ある程度のストーリーさえ暗示し得る内容のものとなるのです。
 日常生活の中でも、注意深く観察していれば、ボンデージ・シチュエーションを連想する、様々な事物を目にいたします。新しいシチュエーションを今後もどんどん取り入れて、作品に生かしたいと思う次第であります。

S&Mスナイパー2004年4月号掲載

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January 20, 2004

着装文化通信03 着衣様式の嗜好

 3回目となりました今回は、ボンデージの三要素のうち、最後の着衣様式について筆者の嗜好を述べさせていただこうと思います。
 海外ボンデージ作品の多くは、下着以上の衣類を着用したものとなっております。が、中にはNude Bondageとか、Bare Foot Bondageとか、特殊なものも無いわけでは無いですが、それらはあえてBondageの呼称に修飾語として断り書きを付加するようなネーミングをしているように、ボンデージの本質は着衣にあるのだと考えております。また、下着以上と書きましたが、これは必ずストッキングを着用していると書き換えても決して間違いではないのではないかと思われるくらい、ボンデージ作品はストッキングものが少なくありません。ジョン・ウィリーやアーヴィング・クローの作品を見てみても、その殆どがストッキングを着用しております。ハーモニー社の作品についてもまた然りと申せましょう。隷嬢寫眞館でも、ストッキングに関してのこだわりは、なかなか激しいものがございまして、現行作品中99%はストッキング着用作品であります。そういう意味では、ボンデージは脚フェチ(もしくはナイロン・フェチ)の要素を多分に有したジャンルともいえましょう。
 なお、参考までに記しておきます。当文章におきましては、これまで一言で「ストッキング」と記してきましたが、厳密には「パンティーストッキング」と「ストッキング」とは別物であるという点につきまして、明確にしておきたいと思います。もともと、「パンティーストッキング」はPantyhoseであり、「ストッキング」はStockingsという単語で表現されておりました。前者は、一般的なパンストのことであり、後者はガーターで吊ったり、バンドで固定したりして使用する腿丈くらいの薄い靴下のことです。これだけでも別物であるということがおわかりいただけるかと思います。隷嬢寫眞館におきましても、両者それぞれの愛好者がそれぞれの作品を楽しんでいただいているようです。とはいうものの、機能的には両者はほぼ同類のものでありますから、統一した呼称も要求されてくるでしょう。なので、少々苦し紛れですが「ナイロン(Nylons)」という単語で表現したりしております。
 それでは、筆者のナイロンに関しての嗜好についてでありますが、前回のギャグの文章のときと同様、こちらも実際のところ、筆者の嗜好が一定期間を経過するごとに変動してしまいます。それはこだわりではない、というお叱りもございましょうが、人間やっぱり飽きっぽい生き物、隷嬢寫眞館は特にその傾向が顕著なサイトということでご了承いただきたくお願い申し上げる次第です。以下、筆者の嗜好サイクルを大雑把に4つのパターンで分類させていただきます。
 一、ストッキング(黒・ベージュ等のカラー。バックシームの有無、等)。
 ニ、パンティーストッキング(黒・ベージュ等のカラー。バックシームの有無、等)。
 三、タイツ(一、二、に分類される場合も多いのですが、特に網タイツは分けたほうがいいかもしれません)。
 四、ソックス類(ルーズ・ソックス、ハイソックス、オーバーニーソックス、等)。
 これらの美学については、ここで筆者が拙い文章力で記すより、専門のフェチサイトで緻密な記述を参照されるのが最上と思います。隷嬢寫眞館としては、これらの愛好者が安心して見ることが出来る作品(すなわち、途中で脱がしてしまわずに、終始一貫してナイロン類を着用した緊縛作品)を今後も揃えていきたいと考えている次第です。

S&Mスナイパー2004年3月号掲載

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reijoh_shashinkan at 23:37|PermalinkComments(0) Share on Tumblr 衣装に関すること 

December 20, 2003

着装文化通信02 猿轡様式の嗜好

 前回は、ボンデージの三要素のうち、一つめの緊縛様式について筆者の嗜好を述べましたが、今回は二つめの猿轡様式の嗜好についてお話しいたします。
 「さけぼうにも、さるぐつわのために、息もできないほど」(江戸川乱歩著『大金塊』より)というような使い方に代表されますように、猿轡というと一般には布などを用いて口を塞ぎ、声を立てられないようにすることを目的とします。あるいはそれ以上に、「声を奪うだけでなく、苦痛を与えたり、飢えさせる」(秋山裕美著『図説拷問全書』より)ことを目的とすることももあるようです。
 海外ボンデージ作品の殆どが、猿轡を必須アイテムとしています。隷嬢寫眞館でも、同様にいくつかのパターンの猿轡を必須のアイテムとしています。猿轡の種類とか分類とかに関しましては、膨大な文献を漁っても全容は把握出来そうにも無いくらい、多種多様なものが存在しています。その全てを短期間で実践することはなかなか困難なものですから、筆者は概ね四つのパターンを作品に取り入れることにしています。撮影にあたってモデルさんに指導をする場合にも、わかりやすく説明することが出来ます。
 隷嬢寫眞館における四つのパターンを箇条書きにまとめますと、次のようになります。
 一、布(噛ませ猿轡、鼻有被せ猿轡、鼻無被せ猿轡、等)。
 ニ、ボール(サイズ、材質、色、等様々)。
 三、革ギャグ(ペニスギャグ等も含めて多種)。
 四、テープ(こちらも色、貼り方、等バリエーションは多し)。
 これらに関する詳細な検証は他書に譲らせていただくとしまして、筆者がこれらの猿轡を使用することによって、作品にどのような効果を期待しているかについて記しておきましょう。
 猿轡はそれをされる者にとっては極めて非日常的なものであります。そこから生み出されるものは、困惑・憤怒・哀願等が交錯するある意味ネガティブな表情が織りなすひとつの美学に他なりません(映像では更にくぐもった声や呻き等といった音声も、美学の要素として加わることになるでしょう)。ボンデージ作品の魅力のひとつとして、そのような美学を意識しているのは、筆者ひとりではないものと考える次第であります。
 本来ならば、筆者の好みの猿轡はどれであるかを記述したいところでありますが、前述の美学の追究が果たせるのであれば、実のところどのような猿轡でも、筆者は問題なく享受してしまうことが出来ます。あえてひとつを選択するとしても、時期によって嗜好が微妙に変遷するため、やはり上述の内容で留めておくことにしたいと思います。筆者の猿轡嗜好の変遷を辿ってみたいかたは、是非、隷嬢寫眞館をおたずねください。

S&Mスナイパー2004年2月号掲載

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reijoh_shashinkan at 23:38|PermalinkComments(0) Share on Tumblr 猿轡に関すること 
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